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2017.11.19

パリのショパンの家

ショパンがフルートのために作曲した曲は1曲しかありません。14歳の時に作曲した「ロッシーニの歌劇『シンデレラ』の主題による変奏曲」です。しかしノクターンやワルツなどの美しい旋律はフルートでも良く演奏され、私の好きな作曲家の一人です。
ここ数年でパリを訪れた際に巡ったショパンの家を、ショパンの足跡とともに幾つか紹介したいと思います。

ショパンは1810年にポーランド、ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラで生まれました。幼少の頃から病弱ではありましたが音楽の才能に溢れ、宮殿に招かれて演奏し、また7才の時にはポロネーズを書いています。
1829年7月にワルシャワ音楽院を卒業、1830年11月2日にウィーンに向け旅立ち、再び故郷に戻ることはありませんでした。翌1831年7月20日にウィーンを後にし、同年9月末にパリに着きました。当時のパリはロマン主義の芸術の中心でもありました。またサロン文化も盛んでバルザック、ユーゴー、ミュッセ、サンド、デュマ、ドイツ人のハイネらの文学者、画家のドラクロワ、コロー、またリスト、ベルリオーズ、ロッシーニ、ケルビーニ、マイアベーアなど音楽家もサロンに出入りしていました。そうした中にショパンも少しずつ入っていきました。

ショパンがパリに来て初めて住んだ家がポワソニエール大通り27番地にあります(今はプレートだけが残っています)。

ポワソニエール大通り27番地のアパートの門

門の上のプレート

 

ショパンは部屋からの眺めを「世界一」と言っていたそうですが、家は5階(日本式では6階)にあり、レッスンを受ける婦人方には大変不便なので間もなく引っ越しました。引っ越した場所はシテ・ベルジェール4番地で、先のアパート前のメインの道路を渡って数分の所にあります。今は隣にある「ヴィクトリア」と言うホテルの一部になっているようです。

シテ・ベルジェールの入り口

シテ・ベルジェール4番地のプレート

 

ヴィクトリアホテルの一部分

 

この後ショセ・ダンタンで2箇所に住みました。現在この地区はパリ一番のショッピング街でギャラリー・ラファイエットもこの地区にあります。1836年秋にショパンはリストを介してジョルジュ・サンドと知り合いました。サンドに対するショパンの第一印象は良くなかったのですが、やがて付き合い始めました。1838年秋から1839年5月までジョルジュ・サンドと病気療養のためにマヨルカ島に行きましたが、かえって悪化してしまいました。その後フランス中部にあるサンドのノアンの館を経由し、回復してパリに戻り、トロンシェ通り5番地に2年ほど住んでいました。ここはマドレーヌ寺院の真裏にあたります(写真はありません)。
またピガール通り16番地(現在のジャン=バプティスト・ピガール通り20番地)には1841年秋から1842年9月までジョルジュ・サンドと住んだ家があります。先のトロンシェ通りの家はあまり住み心地が良くなく、毎日のようにサンドの住んでいたピガール通りの家に寄ったりして結局ショパンがサンドの家に移り住みました。

ピガール通りの家

プレート

 

ここでの生活を狭く感じるようになったので、今度はスクワール・ドルレアン9番地に別々に移り住みました。

スクワール・ドルレアンの入り口

中庭

 

ショパンの家のプレート

サンドの家のプレート

 

ここには多くの芸術家が住んでいて、いわゆる共同生活のようなスタイルです。最終的には家庭内のゴタゴタ(サンドの連れ子、モーリスとソランジュとの関係)等もあり、9年間付き合ったショパンはサンドと別れることになります。その後しばらくショパンはそこに留まり2年後の1849年に当時はまだパリ郊外だったシャイヨ通り74番地(現在の住所と異なります)に、同年9月には医者のすすめでヴァンドーム広場12番地に引っ越し、ここがショパン最後の家となります。広場に面した宝石店にショパンがここで1849年10月17日に亡くなったとプレートが掲げられています。最後の家には一ヶ月位しか住みませんでした。

ヴァンドーム広場

ショパン最後の家

 

宝石店の上に掲げられたプレート

 

葬儀はヴァンドーム広場から遠くないマドレーヌ寺院で執り行われました。

マドレーヌ寺院

 

ショパンが住んだ家はパリでは9箇所あるようですがショセ・ダンタンの家のように道路の拡張工事等で取り壊され消失しているものもあります。

住居以外にショパンと関係のある場所も紹介します。
「パリ市立ロマン主義美術館」は元々アリ・シェフェールのアトリエで、ドラクロワ、ショパンとサンドを招いていました。美術館にはショパンの手(石膏)も展示されています。
またサン・ロック教会はショパンの友人の結婚式をあげた教会で結婚の証人となったショパンの直筆のサインが今も保管されているそうです。

パリ市立ロマン主義美術館

サン・ロック教会

 

ショパンのお墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にありますが、以前紹介しましたのでここでは省きます(心臓は遺言通りワルシャワの聖十字架教会にあります)。

パリを訪れる際にはショパンの足跡を辿ってみてください。

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